『みいちゃんと山田さん』2巻・須崎先生を人物分析|「正しい言葉」が届かなかった理由

キャラ考察

『みいちゃんと山田さん』2巻で、個人的に強く印象に残った人物が須崎先生です。

小学3年生になったみいちゃんの担任として登場する女性教師。

みいちゃんの学校生活を見て、検査や特別支援学級という選択肢を提案します。

しかし、その言葉をみいちゃんの母親は、

「みいちゃんがバカだと言いたいのか」

と受け取ってしまう。

さらに、須崎先生がみいちゃん本人に説明した言葉も、結果的にはみいちゃんに正しく届きません。

須崎先生は、みいちゃんを傷つけようとしていたわけではない。

むしろ、みいちゃんの将来を考えて行動していたように見えます。

それなのに、みいちゃんはその言葉を「自分を見下している」と受け取ってしまう。

ところが、須崎先生の言葉の中には、もう一つ重要なものがあります。

それが、

「中村さんは感性がすごいから!」

という言葉です。

この言葉は、その場でみいちゃんを救えたわけではありません。

しかし、キャバ嬢になった現在のみいちゃんも「自分は感性がすごい」と自慢しています。

つまり須崎先生の言葉は、みいちゃんに完全には届かなかったわけではない。

むしろ、みいちゃんの中に残り続けている。

今回は須崎先生の言動を振り返りながら、

「なぜ須崎先生の言葉は、みいちゃんに届かなかったのか?」

そして、

「もし須崎先生が別の動き方をしていたら、何か変わったのか?」

というところまで考えてみます。

※以下、『みいちゃんと山田さん』2巻の内容に触れています。未読の方はご注意ください。

須崎先生は、みいちゃんを「バカ」だと思っていたわけではない

小学3年生になったみいちゃん。

その学校生活を見ていた須崎先生は、保護者面談で母親に検査や特別支援学級という選択肢を提案します。

しかし、母親は、

「みいちゃんがバカだと言いたいのか」

と受け取ってしまう。

ここで重要なのは、須崎先生が「みいちゃんはダメな子だから特別な場所へ行かせよう」と言っているわけではないことです。

むしろ須崎先生が気にしているのは、

「今の環境が、みいちゃんに合っているのか」

ということ。

普通学級に在籍していることそのものが、みいちゃんにとって良い結果につながるとは限らない。

だからこそ、別の選択肢を提示した。

少なくとも作中を見る限り、須崎先生の提案はみいちゃんを否定するためのものではありません。

ところが、母親には「バカと言われた」と受け取られてしまう。

ここに、この作品が描く「普通」というものの難しさがあります。

須崎先生が重視していたのは「勉強」だけではない

須崎先生が特に印象的なのは、特別支援学級について説明する場面です。

須崎先生は、そこで学ぶことを単純に「勉強についていくため」とは考えていません。

時間を守る。

社会のルールを覚える。

買い物をする。

電車に乗る。

そうした、

「生きていくために必要な力」

を身につけることも大切だと話しています。

ここが須崎先生という人物の大きな特徴だと思います。

学校というと、どうしても、

「授業についていけるか」

「テストで何点取れるか」

という部分に目が向きやすい。

しかし須崎先生は、その先を見ている。

学校を卒業した後に、みいちゃんがどうやって生活していくのか。

そのためには、今の学校環境でただ6年間を過ごすことが本当に良いのか。

須崎先生は、そこまで考えていたように見えます。

だからこそ、みいちゃんに合った環境を提案した。

少なくとも、作中の須崎先生は「みいちゃんを普通の子に戻そう」としている人物ではありません。

みいちゃんが生きていくために必要なものは何か。

そこを考えている先生なのだと思いました。

それでも、おばあちゃんは受け入れられなかった

須崎先生は母親だけでなく、おばあちゃんにも話をします。

しかし、おばあちゃんも特別支援学級という提案を簡単には受け入れられません。

その理由として大きいのが、

「近所の目」

です。

ここが非常にリアルだと感じました。

みいちゃん本人にとって何が必要なのか。

ではなく、

「周囲からどう見られるのか」

が判断材料になってしまう。

もちろん、おばあちゃんにもみいちゃんを心配する気持ちはあったのでしょう。

だからこそ葛藤も描かれています。

それでも、「特別なクラスに入れる」ということに対して、社会からどう見られるかという不安が先に立ってしまう。

須崎先生が提示したのは、みいちゃんの将来を考えた一つの選択肢。

しかし家族側から見ると、それは「みいちゃんを普通ではないと認めること」のようにも見えてしまう。

同じ提案でも、立場が変わるだけで意味が変わってしまうのです。

須崎先生は、みいちゃん本人にも説明しようとする

母親から反発されても、須崎先生はみいちゃんを放置しません。

みいちゃんに、

「バカって言ったの?」

と聞かれたとき、須崎先生は自分の考えを説明します。

「私はみいちゃんが特別だと思ったから、適した場所を提案しただけ」

という言葉。

さらに、

「その線引きや基準だって、これからの環境や社会次第で揺らいだり増えたりするんだろうね……」

と話します。

ここには、須崎先生自身も「普通」と「特別」の境界が絶対的なものではないと考えていることが表れています。

誰かを「普通ではない」と決めつけたいわけではない。

その人に合った環境を考えたい。

須崎先生が言いたかったのは、そういうことだったのではないでしょうか。

「感性がすごい」は、みいちゃんの中に残り続けた

そして、須崎先生を語るうえで絶対に外せないのが、この言葉です。

「中村さんは感性がすごいから!」

さらに、

「将来は何になるのかな……絵描きさんかな?小説家さんかな?」

と笑いかける。

この言葉は、その場ではみいちゃんを救えませんでした。

むしろ、みいちゃんは須崎先生の笑顔さえも、以前に自分を見下していた先生やクラスメイトの笑いと同じように受け取ってしまう。

しかし、ここで終わらないのが面白いところです。

キャバ嬢になった現在のみいちゃんも、

「自分は感性がすごい」

ということを信じ切って自慢しています。

つまり、須崎先生の言葉はみいちゃんの中に残っている。

学校へ行かなくなった。

須崎先生の意図も正しく受け取れなかった。

それでも、

「自分には感性がある」

という部分だけは、みいちゃんの自己認識として残ったのです。

みいちゃんにとって「感性がすごい」は、かなり大きな言葉だったのではないか

ここからは作中の描写を踏まえた個人的な考察ですが、みいちゃんは、周囲から自分の長所を褒められる経験がかなり少なかったのではないかと感じます。

母親からは、みいちゃんを理解できない様子が繰り返し描かれる。

学校でも、いじられたり、見下されたりする経験がある。

特別支援学級の提案も、本人からすれば「自分は普通ではないと言われた」と受け取りかねない。

そんなみいちゃんに、

「感性がすごい」

と、真正面から長所を言葉にしてくれた。

しかも、

「絵描きさんかな?」

「小説家さんかな?」

と、その先の可能性まで考えてくれた。

みいちゃんからすれば、

「自分には人とは違う、良いところがある」

と初めて具体的に言葉にしてくれた大人だったのかもしれません。

だからこそ、何年経っても覚えている。

「感性がすごい」と自慢できる。

この描写を見ると、須崎先生はみいちゃんの人生を変えることはできなかったとしても、みいちゃんの中に一つの自己肯定感を残した人物だったとも考えられます。

これはかなり重要なポイントだと思います。

須崎先生の言葉は「全部届かなかった」のではない

ここまで考えると、第11話の見え方が少し変わります。

須崎先生の言葉は、

「届かなかった」

だけではない。

正確には、

「意図した形では届かなかったけれど、一部はみいちゃんの中に残った」

のではないでしょうか。

須崎先生が伝えたかったことは、

「みいちゃんには、今の環境より合う場所がある」

という部分でした。

しかし、みいちゃんが受け取ったのは、

「自分は普通ではないのかもしれない」

という苦しさ。

一方で、

「感性がすごい」

という言葉は、みいちゃんの中に残った。

この「伝わった部分」と「伝わらなかった部分」が同時に存在しているところが、とてもリアルです。

人間のコミュニケーションは、相手の言葉を丸ごと受け取るものではない。

自分に引っかかった部分だけを強く覚えていることもある。

みいちゃんの場合、その中に「感性がすごい」という言葉が残ったのだと思います。

では、須崎先生はどう動けばよかったのか?

ここは非常に難しいところです。

作中の情報だけで「須崎先生はこうすべきだった」と断定することはできません。

みいちゃんの家庭環境も、過去の学校生活も、須崎先生がすべて把握していたわけではないからです。

そのうえで、もし別のアプローチを考えるなら、いくつか可能性はあったと思います。

① いきなり「特別支援学級」を中心に話さない

須崎先生が伝えたかったのは、

「みいちゃんに合った環境を考えたい」

ということだったはずです。

しかし、母親からすると、

「特別支援学級に入れる」

という言葉のインパクトが非常に大きい。

そこで、

「まずは学校生活のどこで困っているのか」

を具体的に共有するところから始める方法もあったかもしれません。

例えば、

「左右違う靴を履いている」

「時間を守ることが難しい」

「授業ではこういう場面で困っている」

など、実際の学校生活の様子を一つずつ伝える。

そのうえで、

「こういう困りごとがあるなら、こういう支援も考えられます」

と選択肢を提示する。

そうすれば、「バカだから特別支援学級」という誤解を少し減らせた可能性があります。

もちろん、それで母親が納得したとは限りません。

② 「普通」と「特別」という言葉より、「得意・苦手」に焦点を置く

みいちゃんにとって、

「特別」

という言葉は、おそらくかなり引っかかりやすい言葉だったのではないでしょうか。

だからこそ、

「みいちゃんには、こういうことが苦手な部分がある」

と同時に、

「でも、こういうところはすごい」

という伝え方をもっと強くしてもよかったのかもしれません。

実際、須崎先生は最後に「感性がすごい」と伝えています。

この部分をもっと早く、もっと具体的に伝えていたら、みいちゃん自身が、

「自分はダメだから特別な場所へ行けと言われている」

とは受け取りにくかった可能性があります。

③ まず「感性がすごい」を具体的なエピソードにする

須崎先生の、

「感性がすごい」

という言葉は、とても良い言葉です。

ただ、みいちゃんにとっては抽象的でもあります。

もし、

「みいちゃんがこういう絵を描いていたところが面白かった」

「こういうことに気づいたところが他の子と違っていた」

など、具体的な行動とセットで伝えていたら、

「先生は自分のどこを見てそう言っているのか」

が、もっと伝わったかもしれません。

それなら「お世辞」ではなく、

「先生は本当に自分のことを見ている」

という感覚につながった可能性があります。

④ みいちゃん本人との信頼関係を、もう少し時間をかけて作る

須崎先生が間違ったことを言ったわけではありません。

ただ、みいちゃんには過去に「先生に笑われた」という経験があります。

その状態では、正しい言葉を一度伝えただけで信頼してもらうのは難しい。

だから、

「先生はみいちゃんをバカにしていない」

ということを、言葉だけではなく日々の行動で積み重ねる。

困ったときに助ける。

みいちゃんの話を聞く。

できたことを具体的に褒める。

そうした積み重ねがあれば、須崎先生の言葉の受け取られ方も変わった可能性があります。

ただし、これも「そうすれば必ず学校に通えた」とは言えません。

みいちゃんの家庭環境や、それまでの経験があまりにも大きいからです。

それでも須崎先生だけを責めることはできない

ここが、このエピソードの難しいところです。

「須崎先生の伝え方が悪かった」

だけで終わらせると、作品の描いているものを狭くしてしまいます。

須崎先生は、

  • みいちゃんの困りごとに気づいた
  • 将来の生活まで考えた
  • 家族にも説明しようとした
  • 本人にも説明した
  • みいちゃんの長所も見つけた

という行動をしています。

それでも、うまくいかなかった。

つまり、この話の本当の怖さは、

悪意のある人が誰かを傷つけた話ではない

ところにあります。

善意のある人でも、相手の過去や受け取り方までは完全にコントロールできない。

だからこそ、須崎先生のエピソードは「良い先生・悪い先生」という単純な人物評価では終わらないのだと思います。

須崎先生は、みいちゃんを救えなかった。

でも「感性」という言葉は残した須崎先生がみいちゃんを学校から救い出したわけではありません。

特別支援学級に入ることもありませんでした。

むしろ、みいちゃんはその後3年間学校へ行かなくなる。

結果だけを見ると、須崎先生の働きかけは成功したとは言いにくい。

でも、みいちゃんの中には一つの言葉が残りました。

「自分は感性がすごい」

キャバ嬢になった現在でも、それを自慢している。

これは、かなり大きな意味を持つ描写だと思います。

みいちゃんは、これまで「できないこと」「普通と違うこと」に目を向けられることが多かった。

そんな彼女に、

「あなたには、すごいところがある」

と言ってくれた人がいた。

その言葉を、みいちゃんはずっと持っている。

須崎先生は、みいちゃんの人生を変えられなかったのかもしれません。

でも、

「自分には人とは違う良さがある」

という感覚を残した。

それだけでも、須崎先生がみいちゃんに与えたものは良くも悪くも小さくなかったのではないでしょうか。

まとめ|須崎先生は「正しい言葉」よりも「残る言葉」をみいちゃんに与えた

須崎先生は、みいちゃんに合った環境を考え、「生きていく力」を身につけることの大切さを伝えようとしました。

しかし、その意図はみいちゃんには十分に伝わらなかった。

過去の経験が、須崎先生の言葉の受け取り方を変えてしまったからです。

それでも、

「中村さんは感性がすごい」

という言葉だけは残った。

キャバ嬢になった今でも、みいちゃん自身がそれを自慢していることを考えると、須崎先生はみいちゃんの人生に何も残せなかったわけではありません。

むしろ、

「正しい言葉は届かなくても、相手の心に残る言葉はある」

ということを、このエピソードは描いているように感じます。

そして同時に、相手のためを思って正しいことを伝えるだけでは、人を救えないこともある。

だからこそ、須崎先生の人物像は単純な「良い先生」では終わりません。

みいちゃんを完全に理解できたわけでもない。

すべてを解決できたわけでもない。

それでも、みいちゃんの中に「感性がすごい」という一つの言葉を残した。

須崎先生は、みいちゃんの人生を変えた先生ではない。

でも、みいちゃんが自分自身を肯定するための言葉を残した先生だった。

私は、2巻の須崎先生をそんな人物として読みました。

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