『みいちゃんと山田さん』を読んでいて、気になることがあります。
それは、漢字のほとんどすべてにフリガナが振られていることです。
大人が読む漫画なら、フリガナがなくても読める言葉はたくさんあります。
それなのに、この作品では「ここまで必要なの?」と思うほど丁寧にフリガナが付けられている。
もちろん、これだけで作者の意図を断定することはできません。
ただ、2巻まで読んでみると、このフリガナは単なる読みやすさのためだけではなく、作品そのものの「伝え方」と深く関係しているのではないかと思えてきます。
『みいちゃんと山田さん』は、重たいテーマを扱っています。
それでも、物語は驚くほど分かりやすい。
その理由の一つが、この「フリガナ」にあるのではないでしょうか。
『みいちゃんと山田さん』は「難しい話」にしない
2巻では、
- 人間関係
- 恋愛
- DV
- 家庭環境
- 学校生活
- 周囲とのコミュニケーション
- 仕事
- 生きづらさ
など、簡単には答えを出せない問題が次々に描かれます。
例えば、みいちゃんとマオくんの関係。
読者から見ると、心配になる状況であることは分かります。
しかし、みいちゃん自身は簡単にはその関係から離れられません。
周囲が「こうしたほうがいい」と思っても、本人にとってはそう簡単な話ではない。
本来なら、こうしたテーマを説明しようとすると、かなり複雑な文章になってしまいます。
ところが『みいちゃんと山田さん』では、それを難しい言葉で説明しすぎません。
何が起きているのかを、まず読者に見せる。
そして、その意味を読者自身に考えさせる。
この作り方が、この作品の大きな特徴だと思います。
すべての漢字にフリガナがある意味
そこで気になるのが、漢字に付けられたフリガナです。
フリガナがあることで、読者は難しい漢字や言葉につまずきにくくなります。
つまり、
「この言葉の意味が分からないから、ここで読むのを止める」
ということが起こりにくい。
これは一見すると、小さな工夫です。
しかし、この作品の場合はかなり重要なのではないでしょうか。
なぜなら『みいちゃんと山田さん』は、扱っているテーマそのものが難しいからです。
だからこそ、読むことまで難しくしてしまう必要がない。
物語の難しさは、人間そのものに残す。
文章を読む難しさは、できるだけ取り除く。
そんな設計になっているようにも見えます。
「難しい問題」を「誰でも読める形」にする
2巻の第11話では、子どもの頃のみいちゃんと須崎先生のやり取りが描かれます。
須崎先生は、みいちゃんが学校生活で困っていることを見つけます。
そして、勉強だけではなく、
「時間を守る」
「社会のルールを身につける」
「買い物をする」
「電車に乗る」
といった、生活していくための力にも目を向けます。
ここには、単純に「勉強ができるか、できないか」だけでは語れない問題があります。
でも、この作品は専門用語を並べて説明するわけではありません。
みいちゃんが何をしているのか。
先生が何を考えているのか。
母親や祖母がどう反応するのか。
それを場面として見せています。
だから読者は、
「これはこういう問題なんだ」
と、まず物語を追いながら理解できます。
ここに、フリガナの存在が重なります。
難しいテーマを、難しい読み物にしない。
この作品には、そんな特徴があるように感じます。
もしかすると「みいちゃんのため」だけではない
ここで、もう一つ面白いところがあります。
フリガナが多いからといって、
「みいちゃんのような子どもにも読めるように作られている」
と単純に考える必要はないと思います。
むしろ重要なのは、
読者を限定しないこと
なのではないでしょうか。
学校生活でつまずいた経験がある人。
人間関係が苦手だった人。
家族との関係に悩んだことがある人。
恋愛で周囲から心配された経験がある人。
あるいは、そうした経験がまったくない人。
誰が読んでも、物語の出来事を追っていける。
フリガナは、そのための一つの仕掛けとして機能しているように見えます。
「分かりやすさ」は、作品のテーマそのものなのかもしれない
ここまで考えると、2巻全体の構成もつながってきます。
第6話では、ハムスターを通して「命」と「好き」の違いを描く。
第7話では、ニナちゃんを通して、頑張っているのに周囲と噛み合わない人を描く。
第8話では、シゲオとの関係から、人間関係の歪みを描く。
第9話では、みいちゃんとマオくんの関係を通して、恋愛だけでは片付けられない問題を描く。
第10話では、みいちゃんの家庭を描く。
そして第11話では、子どもの頃のみいちゃんと須崎先生を描く。
一つひとつを取り出せば、かなり重たい話です。
それでも、それぞれの話で「何が起きているのか」は比較的追いやすい。
これは偶然ではなく、作品全体の作り方として考えることができます。
複雑な問題を、複雑なまま放置するのではなく、読者が理解できる形まで整理して見せる。
フリガナも、その考え方の延長線上にあるのではないでしょうか。
「伝えたいこと」と「伝わったこと」は違う
そして、この作品を考えるうえで興味深いのが、作品がどのように受け取られたのかという部分です。
『みいちゃんと山田さん』は、描かれている出来事が強い印象を残します。
そのため、読者によっては、
「みいちゃんはこういう人だ」
「このキャラクターはこういう人物だ」
と、登場人物そのものに強い印象を持つこともあるでしょう。
しかし、2巻まで読んでみると、単純に「この人が悪い」「この人がおかしい」という話だけではありません。
みいちゃんの現在だけではなく、子どもの頃の学校生活や家庭環境まで描かれています。
ニナちゃんについても、現在だけではなく、その後の人生まで描かれています。
つまり作者は、現在の行動だけではなく、「どうしてこうなったのか」を物語として見せているようにも読めます。
だからこそ、作品が世間から一方向に受け取られてしまった部分があったとしても、それだけで作品全体を捉えるのは少しもったいない。
そんな読み方もできるのではないでしょうか。
「誤解された」というより、あえて考えさせる作品なのかもしれない
ここは慎重に考えたいところです。
作者が実際に、
「こういう意図で描いた」
と明言しているわけではない限り、作品の意図を断定することはできません。
ただ、2巻までの描写を見ると、
みいちゃんのような問題を、できるだけ多くの読者に伝わる形で描こうとした作品なのではないか
と考える余地はあります。
例えば、みいちゃんの問題を専門的な文章だけで説明したとします。
すると、
「難しい話だな」
「自分には関係ない話かも」
と感じる読者もいるでしょう。
でも漫画なら、
「こういうことが起きている」
という場面を直接見ることができます。
さらにフリガナによって、読むこと自体のハードルも下げられている。
そう考えると、
「難しい問題を、誰でも読める物語にする」
という方向性が見えてきます。
なぜ「みいちゃん」を分かりやすく描く必要があったのか
みいちゃんは、読者から見て理解しやすい部分と、理解しにくい部分を同時に持ったキャラクターです。
なぜそんな行動をするのか。
なぜ心配されるような状況から離れられないのか。
なぜ周囲の言葉をそのまま受け取れないのか。
なぜ子どもの頃から周囲と噛み合わなかったのか。
一つひとつを考えると、簡単には答えが出ません。
だからこそ作者は、みいちゃんを「説明する」のではなく、みいちゃんの人生を順番に見せているのではないでしょうか。
2巻で幼少期までさかのぼって描いたことによって、
「今のみいちゃんだけを見て判断していいのだろうか?」
という問いが生まれます。
これは、読者にとってかなり大きな意味を持つ描写です。
フリガナが生み出す「読みやすさ」と「重たい現実」のギャップ
そして個人的に面白いと思うのが、この作品のギャップです。
フリガナが多く、絵も全体的にデフォルメされた表現になっています。
文章も比較的読みやすい。
ところが、その中で描かれているのは決して軽い話ではありません。
DVや家庭の問題、学校生活、人間関係など、現実に考えさせられるテーマが次々に出てきます。
この、
「読みやすいのに、内容は重い」
というギャップが、『みいちゃんと山田さん』独特の読後感につながっているように思います。
読者は難しい文章を読んで疲れるのではなく、
「こんなことが起きているのか」
と、物語そのものから考えさせられる。
だからこそ、読み終わったあとに残るものも大きいのではないでしょうか。
『みいちゃんと山田さん』は「分かること」から始める物語
ここまでをまとめると、2巻のフリガナは単なる読みやすさの工夫として見ることもできます。
しかし、作品全体を見渡すと、もう一段深い意味を考えることもできます。
それは、
「まず、誰でも物語を理解できる状態を作る」
ということです。
難しい言葉をできるだけ避ける。
フリガナを付ける。
人間関係を複雑にしすぎない。
一つの話の中で、一つの問題を中心に描く。
そして、そのうえで重たい現実を見せる。
だから読者は、
「何が起きているのか」
を理解したうえで、
「なぜこうなったのか」
を考えることができます。
これは、2巻の物語を読むうえで非常に重要なポイントだと思います。
まとめ|「分かりやすさ」は、みいちゃんを理解するための入口なのかもしれない
『みいちゃんと山田さん』2巻を読んでいると、漢字に振られたフリガナが目に入ります。
一見すると、ただの読みやすさへの配慮です。
しかし、物語全体を見ると、
「難しい問題を、誰でも理解できる形にする」
という作品の特徴と重なって見えてきます。
そして、その中心にいるのがみいちゃんです。
みいちゃんの行動だけを見れば、理解しにくい部分もあります。
けれど、幼少期までさかのぼって描かれることで、
「どうしてこうなったのだろう?」
と考えることができる。
もしかすると『みいちゃんと山田さん』は、みいちゃんのような問題を特別な人だけの話にせず、できるだけ多くの人が理解できる物語として届けようとしている作品なのかもしれません。
もちろん、これは作品の描写から考えた一つの読み方です。
それでも、世間で作品が強い印象を持って受け取られた部分だけを見るのではなく、「なぜここまで分かりやすく描いているのか」という視点から読むと、また違った作品の姿が見えてくるのではないでしょうか。
『みいちゃんと山田さん』は、難しい現実を難しい言葉で説明するのではなく、「まず分かる形」にして読者へ渡している。
2巻のフリガナは、その姿勢を象徴する小さな仕掛けの一つなのかもしれません。


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