※本記事は住みにごりのネタバレは極力避けていますが記事の性質上、少し含みます。閲覧をする際はネタバレに十分お気をつけください。
実話とフィクションの境界が曖昧になる設計
『住みにごり』は、作者であるたかたけし先生の実家がモデルになっていると言われている。
その事実を知った瞬間、読者は読んでいる最中にこう考える。
これは創作なのか。それとも実話なのか。
この“判断の不能さ”が最初の違和感になる。
フィクションなら安心できる。
だが現実の延長線かもしれないと思った瞬間、物語は急に恐怖を纏う。
読者は日常で起こったのかもしれない不安を感じる。
「20年」という時間の恐怖
「寝室の意味で貼った漢字シールが、20年経って違う意味に変わった」
1巻の中でも印象的なセリフだ。
本作の恐怖は暴力ではなく、時間にある。
20年という年月は問題を解決しない。
むしろ意味を変質させる。
恐ろしいのは出来事ではない。
“放置された時間”そのものだ。
フミヤという触れにくい存在
フミヤは家族でありながら、家族で最も触れにくい存在だ。
高1から20年間、2階の部屋に引きこもっている。
家族は彼と真正面から向き合わない。
だが誰も無視できない。
動かない存在が場の中心にいる。
フミヤの存在でこの作品の空気だけが重くなる。
末吉という観測者
主人公・末吉は常に家族の顔色を見ている。
彼は状況を変える側ではなく、
空気を読む側にいる。
しかし家族一人ひとりが強烈だからこそ、
観測者である末吉の存在感もまた際立つ。
この家族には“空気のような人物”がいない。
全員が濃い。
だから逃げ場がない。
実家と社会の天秤
末吉は東京を離れ、田舎の実家へ戻る。
東京での生活と最悪な実家。
その天秤の結果が「帰郷」だ。
外の世界もまた救いはない。
だから人は澱の中に留まる。
主人公は「家」なのではないか
読んでいて気づく。
この物語の中心は末吉のはずだ。
だが実際に物語を支配しているのは“家”だ。
無駄のない家族構成。
逃げ場のない配置。
濃すぎる登場人物たち。
すべてが「家」という装置を機能させるためにある。
主人公は人ではなく、家と言う空間なのかもしれない。
それでも私は、この漫画が好きだ
ここまで分析してきたが、
この作品は決して気持ちの良い漫画ではない。
むしろ、ずっと不穏だ。
それでも私は好きだ。
この停滞を、何度も読み返してしまう。
以前、たかたけし先生のサイン会に足を運んだことがある。
澱のように沈殿する空気を、ここまで精密に描ける作家を他に知らない。
『住みにごり』は沈殿の物語だ。
先生曰く完結までもう少しだそうだが、完結を見届けたい気持ちと終わってほしくない気持ちが沈殿している。


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